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No.943 寂しい知らせ [廃線跡]

 大分県中津市に出向いていたTさんから、帰還の報告がありました。
以前の拙文でもご紹介した、耶馬溪線跡地&保存車両を訪ねる旅で、現地を案内してくれた人です。

 何でも、Tさんの祖父母が、耶馬溪線の駅近くに居を構えていたとか。
運行当時の写真には、線路脇にある件の住宅も写っていました。

 小倉方面から南下している自動車道の工事で、用地買収に伴い、祖父母宅が取り壊されたと聞きました。
僅か一度の訪問でしたが、以前、その旧宅に泊めてもらったことがあり、終点までの線路跡を巡ったことも、懐かしい思い出です。
またひとつ、鉄道の痕跡が消えたようで、残念な限り…。

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No.764 嬉しい土産 [廃線跡]

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 この時期、都会などから土産を持って帰省する人も多いことでしょう。
私も、懇意にしているTさんから、珍しい土産を貰いました。

 昨年7月の拙文でご紹介した、「耶馬溪線」にちなんだ食べ物です。
ただし、そのままでは食せず、炊き上がったご飯に混ぜる必要があります。
早い話、「即席ちらしご飯の素」とでも言いましょうか。
パッケージが、またまた嬉しいですね。

 前述したTさんの祖父母が、中津市内に住んでおられた住居は、立ち退きのため、来年取り壊しになるそうで、今回は、周囲の草刈と、墓参りを兼ねた帰省だとか。
件の住居は、耶馬溪線沿線というか、かつての線路脇にあり、線路跡は幅の広い道路に変じています。

 何でも、大分方面へ南下する自動車専用道路の工事に伴う立ち退きらしく、周囲の地形も変わることから、この界隈に関しては、鉄道の痕跡が消失することになります。
最寄り駅は、Tさんの祖父母宅から直ぐの所でしたから、当時を知る人にとっては、寂しい話でしょうね。
 
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2009年11月末で引退した「紀州鉄道キハ603号」を紹介したDVD作品
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No.532 35年目の初訪問 [廃線跡]

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 大分県の中津まで、出かけていました。
別府などへの行き帰り、中津を通過したことはあっても、市内を歩いたのは初めてです。

 先月、和歌山県御坊市を訪問しましたが、同地を走る「紀州鉄道」のディーゼルカーは、かつて、中津を基点とした路線で走っていたので、そこを訪ねたくなったというわけです。
中津から守実(もりざね)温泉とを結んでいた35kmあまりの地方私鉄、「耶馬溪(やばけい)線」がそれで、廃止後、間もなく35年が経過しようとしています。

 前述した「紀州鉄道」のディーゼルカーは、「耶馬溪線」の廃止後、大分から和歌山へ移動し、以来、30年あまり活躍してきました。
しかし、老朽化により、新しい車両に置き換えられる日も近づいており、何時までも走り続けて欲しいと願う反面、致し方ない現実があるのも確かです。

 先月末に開催した、「惜別 急行列車の集い2009」の席上、その話をしたところ、中津に詳しいTさんが案内しようということになりました。
まさに、トントン拍子で、中津訪問が決まった次第です。

 以前Tさんの祖父母が、中津の近郊(現在は中津市へ合併)在住だったので、幼少の頃、何度も同地を訪れたそうです。
その住居は、耶馬溪線の駅に隣接しており、祖父も保線作業に従事していたとか。
どうりで、若くても耶馬溪線のことに詳しいわけです。

 そのTさんに案内され、中津から終点の守実温泉まで、線路跡を辿ったり、中津市内に保存されている車両を見学したりと、初訪問ながら、充実した内容になりました。
中津駅周辺は、近年の都市開発で、鉄道の痕跡も消失していましたが、少し郊外に出ると、歩道や自転車道として残り、先人たちの英知と努力を、現在に伝えています。
 
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No.352 南薩訪問(5) [廃線跡]

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 いよいよ、南薩ともお別れです。
画像は、訪問の度に私が立ち寄る場所のひとつですが、左側は何の変哲も無い石地蔵のように見えますね。
この地域で多く見られる、農業信仰の地蔵で、地元では「たのかんさ~」と呼ばれています。
「田圃の神様」という意味でしょうが、所によって形も異なり、それを捜し求めている御仁もいるようです。
私はそうした趣味は持ち合わせておらず、この場所に立ち寄るのは、四半世紀前に南薩線が走っていたからに他なりません。
 トラクターが走っている道路の直ぐ奥が、南薩線の線路跡で、今も路盤が残っています。
この場所から、「たのかんさ~」と列車を入れて撮影された写真も見たことがあり、それ以来、訪問の際に立ち寄るのが定番です。

 この地域は、田植えが二段階に行なわれるようで、即ち、早い所では3月下旬~4月初旬、そして遅い所では5月中~下旬といった感じです。
「たのかんさ~」の背後の田圃も、これから田植えが行なわれ、南薩は初夏へと季節が移ることになります。

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No.351 南薩訪問(4) [廃線跡]

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 引き続き、南薩線ネタです。
鉄道が廃止になって、間もなく四半世紀ですが、現存する駅舎は皆無となりました。
最後の駅舎は、枕崎にあって、運行当時の面影を伝える貴重品でしたが、一昨年春に解体され、跡地は大型スーパーに生まれ変わっています。
今年春、そのスーパーが元あった場所に老人ホームが開設され、今は無き鉄道を偲ばせる展示が行なわれていました。

 建物の柱を上手く使ったレイアウトに、感心させられましたが、木製のベンチは、枕崎の駅舎に使われていた木材を加工したのだそうです。
床には、線路を模したモニュメントが描かれていますが、枕木部分だけは本物でした。
私が立ち寄った、薩摩湖や伊作の表記も、ちゃんとありましたよ。

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No.350 南薩訪問(3) [廃線跡]

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 慌しい訪問を終え、無事に帰ってきました。
南薩地域を巡っている時も暑かったですが、当地に帰ってみると、初夏の陽気です。

 拙文346でご紹介した、「男はつらいよ」の第34作。
そのロケ地にも立ち寄ってきました。
画像の上が、冒頭に登場する湖沼で、地元では薩摩湖と呼ばれています。
映画のロケが行なわれた当時は、右上の対岸にある小高い山に入るのは有料だったとか。
今では、すっかり寂れてしまい、昨年でしたが、不動産問題が拗れて、この山にも入れなくなりました。

 下の画像は、ラストシーンに登場する廃止となった鉄道の駅があった場所です。
薩摩湖からは、歩いて15分ほどの場所で、伊作(いざく)駅と呼ばれていました。
鉄道が廃止されたのが、1984(昭和59)年の春で、映画のロケは翌年に行なわれています。
 その後、長い間、鉄道の跡地は放置されていましたが、21世紀に入る頃から切り売りされはじめ、この駅跡地も地元自治体に売却されました。
先年、図書館が完成し、昨年末から造成が行なわれた部分は、分譲地として公売中です。
こうしてみると、世の栄枯盛衰を痛感せざるを得ません。

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No.349 南薩訪問(2) [廃線跡]

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 慌しい訪問でしたが、日頃の行ないが功を奏してか、好天に恵まれ、全ての日程を無事に終えて、川内まで帰ってきました。
行く先々で感じたのが、地方が陰に陽に国政の影響を受けているということです。
先の広域合併で、薩摩半島の市町村は、日置、南さつま、南九州の各市と、合併から外れた枕崎市だけになりました。
 個人的に好きだった、日置郡吹上町(ひおきぐん・ふきあげちょう)や、金峰町(きんぽうちょう)、川辺郡(かわなべぐん)などの呼称も消えました。
消えたのが郡名・町名にとどまらず、結果として、地方の少子高齢化+過疎化を、より進化させるように感じられてなりません。

 そうしたなか、私の心を和ませたのは、一匹の猫でした。
多分、アメリカン・ショートヘアの混ざった種と思いますが、ハイビさんほどの愛猫家でもありませんから、間違っていたら笑って済ませてください。
 前置きが長くなりましたが、私が車を停めてキョロキョロしていると、猫の鳴き声が…。
振り向くと、一匹の猫が私を見つめているではありませんか。
餌でも欲しかったのかも知れませんが、あいにく、菓子のひとつも持ち合わせが無く、「よし、よし」と、声を掛けることしができなかったのが残念です。

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