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No.1198 廃車復活 [鉄道]

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 久々に北九州方面へ出向きました。
平成筑豊鉄道にやって来た「キハ2004号」のお披露目会が目的です。

 キハ2004号は1966(昭和41)年に製造されたディーゼルカーで、北海道の留萌鉄道で使用されていました。
留萌鉄道の廃止後、茨城交通に売却され、湊線(現在は「ひたちなか海浜鉄道」)を走っていましたが、老朽化で昨年末に廃車されたのです。

 あわやスクラップかと思われましたが、九州で走っていた準急型と呼ばれたキハ55系に似ていることから、保存への動きが起こりました。
茨城から北九州まではフェリーで搬送、陸揚げ後はトレーラーで平成筑豊鉄道の車両基地に運び込まれたのです。

 取り急ぎ外観の修復が行なわれ、今回のお披露目となった訳ですが、代表者は「少しずつ手を入れて、将来的には本線上を走らせたい」と話していました。
それが実現するよう、皆で応援したいですね。

 
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No.1195 間もなく95歳 [鉄道]

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 当地に保存されている蒸気機関車、48650号機は製造から95年を迎えようとしています。
記録によると、48650号機は1921(大正10)年11月に大阪の汽車製造会社で誕生した国産の蒸気機関車です。

 名古屋エリアを皮切りに、糸魚川(新潟県)~金沢(福井県)~小郡(山口県)~津和野(島根県)~下関(山口県)、そして1965年秋に三次(広島県)へ配置換え、芸備線や福塩線で活躍し、1970(昭和45)年12月に福塩線では最後となる貨物列車を牽引しました。
翌年春、正式に廃車となり、1972(昭和47)年3月から三次市内で保存され、現在に至っています。

 当初は野天に置かれていましたが、後に屋根が設けられました。
国鉄OBが定期的に掃除をしていたものの、高齢化などで掃除が行き届かず、近年は放置状態となっていました。

 見かねた鉄道愛好家が整備を思い立ち、一昨年の11月から作業を開始しました。
その後、助っ人も現れ、隣接する建物の取り壊しで半年以上も作業の中断を余儀なくされるなどしましたが、現時点で8~9割方完成に近づいています。

 各地に保存されている蒸気機関車の大半は、整備といってもペンキを上塗りするパターンが大半で、金属部分を磨くという手法は一部で行なわれているに過ぎません。
48650号機の整備は錆や元の塗装を落とし、動かせそうな部品は分解して、必要なら修理するという本格的なものです。

 過日、国鉄在職時代に蒸気機関車の掃除や運転に携わったOBが立ち寄り、「当時よりも綺麗になった」と驚いたとか。
動輪を繋いでいるロッド類も磨き出しで、自治体等に貸与されている保存機関車では稀だと思います。

 各地に保存されている蒸気機関車、近年は邪魔者扱いされて解体された車両も少なくありません。
貴重な産業遺産であり、地域の宝物として末永く残して欲しいものです。


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No.1193 レールに見る鉄道の歴史 [鉄道]

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 画像は右から、正式に廃止の決まったJR三江線全通40周年を記念して配布されたレール文鎮、1984(昭和59)年3月に廃止された南薩線(鹿児島)の記念レール、工事用のトロッコ軌道などのレールです。

 ちなみに、大きさ(高さ)は右から152mm、87mm、67mmですから、随分違いますね。
三江線の記念レールはJRの在来線や大手私鉄などで用いられているサイズですが、南薩線のそれは珍しいアメリカ製の輸入レールです。 

 日本の鉄道は本州がイギリス、北海道がアメリカからの技術を導入したのが始まりで、車両はもちろん、機材なども大部分が輸入品でした。
明治中期以降、少しずつ国産化の動きが顕著となり、大正時代には機関車なども国内製造できるまでになりました。

 前述した南薩線ですが、開業は大正時代の初旬、機関車はドイツからの輸入品、構造物も輸入品が多く、レールもそれに該当します。
レールは鉄材が貴重であった頃は用途廃止後、鉄道関連の構造物などに転用されており、現在でも各地で見ることができます。
 

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No.1177 第二の活躍に淡い期待 [鉄道]

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 JR三次駅構内に残されていた転車台ですが、関東に移設されるとか。
蒸気機関車の方向転換に用いられ、無煙化後は点検・整備で車庫に出入りする車両の振り分け等に使われてきました。

 かつての鉄道輸送を担った蒸気機関車全盛の頃、各地の機関区には決まって転車台が置かれていました。
扇形の車庫と共に、憶えている人も居ることでしょう。
転車台は県内にも5箇所以上ありましたが、無煙化以降次第に撤去され、現時点で残っているは前述した三次と、備後落合だけです。

 三次の転車台も使われなくなって久しく、荒れるに任せていましたが、東武鉄道が蒸気機関車を復活運転させるに当たり、移設して使用する計画だそうです。
地域の変遷を見守ってきた産業遺産が、またひとつ消えることになります。
唯一の救いは解体されスクラップにならず、本来の用途で活かされることでしょうか。

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No.1172 あれから45年 [鉄道]

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 当地を走る芸備線の三次以東から蒸気機関車が姿を消したのは1971(昭和46)年3月24日でした。
間もなく、45年になります。

 年配者でも、遥か昔のように感じる人も居ることでしょう。
若い世代は「親が生まれたばかり…」という人が居ても不思議ではありません。

 当時の蒸気機関車はイベント用などではなく、純然たる列車牽引用途に使われていました。
1960年代から電化やディーゼル機関車化が推進され、1975年には当時の国鉄線から営業運転の蒸気機関車は姿を消したのです。

 芸備線の三次以西は1970(昭和45)にディーゼル機関車が導入され、開け放たれた窓からの煤煙も解消されていました。
翌年春、つまり45年前に芸備線は完全無煙化されたという訳です。

 ちなみに、芸備線の備後落合から山陰に抜ける木次線には1971(昭和46)年9月末まで蒸気機関車の牽引する貨物列車が運行されており、その列車が広島県内最後の蒸気機関車ということになります。


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No.1171 間もなく32年 [鉄道]

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 過去、拙文で何度かご紹介した鹿児島の南薩線ですが、来月で廃止から32年を迎えます。
当時、地元記者が取材などで得た感想が記事になっていましたので引かせて貰いました。


 『南薩線の廃止が決まった。70年の風雪を走った鉄路の歴史は、栄光と挫折の連続だった。だが、その末路はあまりにも哀れだ。弓折れ矢尽きての安楽死…あきらめの情より、なぜここまで放置したのか、と怒りすら覚える。

 南薩線の終末を人間の体に例えてみた。同線は20年前ほどから乗客減=赤字増大というガン細胞に侵されていた。だが、投薬や切開手術(集客努力や施設の近代化)など、これといった対症療法は施されず、ただ食事制限(会社のいう「日本一安い経費」)の延命策に終始した。家族(沿線住民)との対話も少なかった。その間、病状は悪化するばかりだ。そんな矢先、主治医(会社)は突然「もう寿命は尽きた」とサジを投げた。家族はろうばいするばかり…。

 悪いことは重なるもの。昨年の6.21水害で加世田・枕崎間の下半身が機能停止、頭部(大田隧道)の機能までやられた。起死回生にかける資金もなく、家族会議も泣く泣く安楽死に同意…。
 
 伊集院・加世田間開通は大正3年。鹿児島本線は鹿児島・串木野間、日豊本線も都城までしか開通していない時代だ。南薩の近代化を願い、自力で鉄路を敷いた先人の進取の気概が伝わってくる。加世田・万世間などは、住民が進んで用地を無償提供、建設費4万円余をかき集めて会社に貸し付けている。鉄道にかけた住民の熱意と期待を物語るエピソードだ。

 廃止も時の流れ、といってしまえばそれまでだ。しかし、先人の鉄道にかける情熱に比べ、あまりに も安易で、策のない廃止劇ではなかったか。廃止後の用地は会社が確保するという。一度死んだ鉄道が再生することはあるまい。せめてその一部でも地域開発に役立て、先人の遺志を継ぎたい。』
※1984年2月8日 南日本新聞朝刊より


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No.1165 誕生94年を祝う [鉄道]

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 三連休は天気も良く、遠出をした人も多かったことでしょう。
隣町に保存されている蒸気機関車(以下SL)が誕生から94年を迎え、そのイベントが催されたので、模型の出前運転を行ないました。

 SLは8620型で、1921(大正10)年に製造された48650号機です。
芸備線や福塩線で活躍した後、現在の地に保存されています。
昨年末から有志が整備を続けた結果、空気で動く箇所も多くなり、この種屋外に置かれたSLの中では最高に近いコンディションらしいです。

 イベントはSLの運転室にも入れ、構造などの説明も聞ける貴重な内容です。
幼児を連れた親御さんは自らも保存運転以外のSLを知りませんから、新たな発見があったり、年配者は昔を懐かしむというシーンも多く見られました。

 今回、NNさんやYTさんの協力を得て、模型の列車を走らせました。
現物を前にすれば模型は迫力に乏しいのですが、意外にも子供たちに大人気。
クリスマスプレゼントも近くなっており、親にせがむ子供も居ました。

 わずか1日のイベントで規模も小さかったのですが、皆で協力してやり遂げた満足感は何とも言えませんね。
貴重な産業遺産である48650号機を大切に保存して、次世代に引き継ぎたいものです。

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No.1163 懐かしい景色を見て考えること [鉄道]

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 普段はJR化後に誕生した軽快なディーゼルカーが走るだけの当地ですが、臨時列車で久々に国鉄型車輌を見ることができました。
JRになっても、しばらくは国鉄型車輌が使われていましたが、発足から30年近くが経過すると、新しい車輌が増えて来るのは、ある意味仕方ありません。

 廃止問題が浮上した三江線もそうですが、当地の鉄道依存度は低く、多くの人は自家用車を利用しています。
少子化に加え、運転免許を持つ老人が増えたことで、鉄道以外でも、公共交通機関の利用者は減るばかりです。

 国鉄を分割して民営化したことすら、まともな検証が行なわれてないが故に、三江線などの問題も出てくるのだと思います。
儲からないから止めるのか、といえば、確かに採算性も無視はできませんが、公共性を考えた時、数の大小だけで決めるのは果たして如何なものでしょう?

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No.1160 開業から60年を祝う [鉄道]

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 JR芸備線の内名(うちな)駅が開業から60年を向かえることを記念して、地元民によるイベントが催されました。
拠点となる田森自治振興センターでは今月末まで、写真展示が行なわれています。

 10/4、好天に恵まれた内名駅で、記念のセレモニーが行なわれました。
他でよくある派手なイベントではなく、乗務員への花束贈呈や記念植樹などに絞った、簡素ながら地元の熱意が感じられるイベントだったと思います。

 内名駅は開業60年ですが、同区間は開通から80年ですから、数字の並びからしても、タイミングの良い開催でした。
今後、次の世代に伝える課題もありますから、継続した取り組みにして欲しいと願っているところです。
 
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No.1156 時を経て [鉄道]

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 拙文No.1152に記したJR三江線(江津~三次)ですが、全通したのが1975(昭和50)年8月31日、つまり40年前です。
全通していなかった43年前の春、当時の三江北線(江津~浜原)には蒸気機関車が牽引する貨物列車が残っていました。

 C56型と呼ばれる機関車で、かつて、一部が広島県に位置する木次線(宍道~備後落合)でも走っていた小型の機関車です。
その当時、三江北線の沿線からは木材などを出荷し、肥料などが貨車で運び込まれていたと聞きました。

 三江北線は木次線に比べると勾配は緩いものの、牽引する貨車の両数が多く、力の弱いC56型を操る乗務員には辛い仕事だったと思います。
終点の浜原には機関車の向きを換えるターンテーブルの設備が無く、往路は後ろ向き、つまりパック運転でした。

 前述した43年前の春、C56型機関車の写真を撮りたくて、バイクを駆って浜原まで出向きました。
隣の駅、粕淵(かすぶち)の近くには大きな鉄橋があり、私が撮影に出向いて2ヶ月後、豪雨災害で鉄橋が流失し、復旧されたのは全通する少し前です。

 三江線の全通から40年、地元のイベントに協賛すべく、広島からのツアーが計画され、私も参加することにしました。
43年前にC56型機関車を撮影したカメラが手元に残っており、思い出の品ということで、持参する予定です。
 
 
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