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No.1212 忘れてはならない事 [歴史]

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 先の大戦が終わって72年を迎えようとしています。
戦争は兵士のみならず、住民を巻き込むことは明らかなのですが、時を経ると、そのような感覚も鈍りがち。

 画像は県境を越えて少し行った場所にある戦没者名碑です。
冬期は降雪も多い過疎地帯ですが、碑には明治以降、太平洋戦争までの間に亡くなった100名あまりが刻まれています。
若い人は17歳、年長は43歳、陸海軍の他に軍属も居たようです。

 この碑は戦後50年、つまり今から22年前の夏に建立されました。
当時、先の大戦のご遺族は兄や姉が健在な場合が多かったと思います。
現在では世代も変わり、各地の慰霊祭も甥や姪の参列が多いと聞きました。

 碑に刻まれている戦没者以外、つまり、この地から戦地に赴いた人は他にも多く居たことでしょう。
幸運にも復員された方は、戦後の復興を担う役割を果たされました。
先人たちの犠牲を無駄にしないことが、私たちに問われていると思います。


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No.1208 伝えることの重要性を痛感 [歴史]

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 先週末、鹿児島に出向いていました。
薩摩半島の南さつま市にある旧陸軍の飛行場跡で慰霊祭が催され、それに参列しました。

 万世飛行場は先の大戦後半に急造された飛行場です。
旧陸軍では近隣の知覧飛行場が有名ですが、万世は知覧の補助的な位置づけで建設されたとか。

 慰霊碑が建立されて46年、慰霊祭も第46回でした。
戦後72年ですから、その間の空白は①敗戦で資料が消失、あるいは散逸、②生き残った旧隊員の大部分は県外出身者、③戦後の復興、各自が生活に追われた、等々の理由によります。

 1960(昭和35)年、万世飛行場に駐屯していた飛行隊の元隊員が加世田市(現在は南さつま市)を訪れ、慰霊の思いを強くしました。
市役所に慰霊基金を寄付、各地の遺族を訪ねる活動などを通じ、慰霊碑建立にこぎ着けたそうです。

 その後、遺品などを展示する祈念館も完成して現在に至っていますが、前述の旧隊員は5年前に死去されました。
その功績を称えようと、祈念館入口付近に顕彰碑が建立され、訪れる人に歴史を伝えています。

 今年の慰霊祭では、ご遺族代表が東北の震災に遭われた方で、「自然災害は防ぎきれないが、人為的な戦争は防げる」と述べられたのには考えを同じくしました。
また、地元高校生の代表も「福祉実習で高齢者が亡くなるのを直視して、万世のことも身近に感じられるようになった」と述べ、彼らが次世代に語り継いで欲しいと願っています。

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No.1162 歴史の事実と現状 [歴史]

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 下関・門司方面に出かけたのを幸いに、日帰りで世界文化遺産登録された三池炭鉱の関連施設を訪問して来ました。
といっても、一般的な観光客向けの施設ではありません。
掘り出された石炭を運んだ鉄道線路跡です。

 鹿児島本線の荒尾駅で下車すると、駅構内にも「世界文化遺産登録」の横断幕(ポスター)が誇らしげに掲出されています。
お目当ての石炭運搬専用線は、乗って来た鹿児島本線をオーバークロス、つまり、線路上を交差していました。

 廃線となって久しいようですが、跡地の全てが残っているような感覚を得た次第です。
もっとも、レールは撤去され、一部の区間は行政が歩きやすく整備しています。

 頻繁に石炭を運ぶ重い貨車が通るため、軌道敷きにも負担がかかります。 
何と、レールを支える枕木はコンクリート製でした。
単にレールを撤去しただけ、すなわち、枕木や固定金具はそのまま残されているのです。

 歩を進めるうちに、万田坑跡に行き当たりました。
坑内から石炭を地上に引き上げる巨大な施設が残り、古い連歌の建物なども見えます。
そうした施設は観光客向けに「有料開放」されているのです。

 観光とは無縁の訪問ですから、寄り道せず、線路跡に沿って進みました。
明治時代の工法であるレンガ積みの橋台や橋脚などを見ると、改めて歴史を感じます。

 線路跡を進むと、大牟田市に入りました。
大牟田市は福岡県ですから、熊本県と福岡県に接した巨大産業であったことが分かります。
100年に及ぶ石炭の歴史、それに少しだけ触れた訪問でした。

※以下、荒尾駅に置いてあったパンフレットから引用します。
『1930年代以降、日本は中国や欧米と戦争をしていたため、労働力が不足し、当時の植民地朝鮮の人々や、中国の人々、連合国軍捕虜などを強制労働させたりという不幸な出来事も起こりました。』
 

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No.1155 戦後70年に際して [歴史]

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 戦後70年、時の経過は戦争体験者も減り、その記憶が忘れ去られつつある現状を見る時、「天災は忘れた頃にやって来る」ということわざを連想します。
ただし、戦争は天災ではなく、人災の最たるものだと思いますが…。

 戦記と呼ばれる書物は多く、自らの体験を記したもの、作家が取材して書いたものなど様々です。
時の経過は体験者を減らし、今後は新たな証拠が出てくることも、そう期待はできないと思います。

 最近、本を読まない人が増えたと聞きますが、文章を読み、想像をめぐらすことは人間にしかできないことです。
と、同時に、理性で行動を変えることができるのも人間しかないと思います。

 以前にも紹介しましたが、「陸軍特別攻撃隊(高木俊郎著)」は廃刊になって久しく、入手も容易ではないでしょう。
古書店、あるいは図書館なとで探せば見つかるかも知れません。

 この本を読むと、戦争と向き合う人間の姿(本性)、とりわけ、責任を取ろうとしない軍上層部の姿勢は現在の政治体制にも脈々と受け継がれていることがよく分かりました。
ご一読をお勧めします。

※画像は初刊本(上下巻)、他に文庫本(1~3巻)も発行されていました。


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No.1153 あれから70年 [歴史]

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 広島は惨禍から70年を迎えました。
多くの人が自らの死を予知することなく亡くなった無念さ、許すことのできない歴史の現実です。

 昨今、戦争反対を叫ぶ若者の姿が目に付くようになりました。
40数年前、ベトナム戦争に反対する似たような動きがあったことを憶えています。

 戦争は、いきなり起こる訳ではありません。
「他国の脅威を煽り、軍備拡大を行ない、国内世論を押さえ込む」、この3点セットが完成された時、戦争が起きても不思議でない状態となるのです。

 以前から何度も述べましたが、「戦争が無いから平和」なのではなく、「日々、安心して暮らせることが平和」だと思います。
先人の犠牲を無にせず、平和な社会(世界)を築きたいものです。
 
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No.1094 70年前をふり返る [歴史]

 今から70年前の秋、この国は対米英戦争の真っ只中でした。
当時、戦局は不利になりつつあって、兵員に余裕も少ないことから、学生の徴兵が始まったのです。

 俗に言うところの、「学徒出陣」は1943(昭和18)年10月から行なわれました。
その当時、我が国には徴兵制があり、男性は兵役の義務があったのです。

 しかし、現在の大学生に相当する男子学生は、徴兵を猶予されていました。
前述したように、戦局がそれを許さない状況に至り、一部の例外を除き20歳以上の学生に徴兵が及んだのです。

 1943(昭和18)年10月21日、明治神宮外苑競技場において「出陣学徒壮行会」が催されました。
あれから70年が過ぎ、大きな歴史的事実がニュースの片隅に追いやられている現実を憂うものです。

 前途ある多くの若者を死に追いやったのは、自然災害ではありません。
人災の最たる事象、すなわち「戦争」であったことを、誰もが今一度思い起こす必要があると痛感しています。


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No.1037 その昔、何があったか [歴史]

 1943(昭和18)年10月21日、明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会が催されました。
当時、我が国には徴兵制があったものの、学生には徴兵延期措置が取られていたそうです。

 戦局が悪化し、戦力の補充を目的として、前述した徴兵延期措置を撤廃して、在学している学生も徴兵することにしたわけです。
速成で入隊した学生たちは、戦地に赴き、多くの人が亡くなったとか。

 志半ばで戦渦に巻き込まれた学生たちは、生きていれば、大いに社会貢献したと思います。
多くの若者の命を奪った戦争とは、一体何であったのか、考える必要がありますね。

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No.1018 先達の教訓を我が物に [歴史]

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 8/15は、終戦記念日(終戦の日)です。
戦後67年を経て体験者も数を減らし、各地で催される慰霊関連行事なども、世代交代が進んでいるとか。

 昨年、この時季でしたが、「太平洋戦争 最後の証言」という書籍が刊行されました。
第一部は零戦・特攻編と題して、飛行機での戦争を中心にまとめられています。
昨年末に第二部の陸軍玉砕編、そして、今年春に第三部の大和沈没編が刊行され、完結したというわけです。

 従軍した元兵士の証言が生々しく綴られており、体験者の減少と高齢化で、今後、これ以上の証言を得ることは難しいと思います。
図書館などでも読めるかも知れませんが、少しばかり奮発して、蔵書として手元に置くことをお勧めしたくなる本です。

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No.947 今から70年前 [歴史]

 12/8は、日本海軍がハワイの米軍基地を攻撃、同時に南方でも陸海軍が攻撃を開始して、70年目になります。
何処かの新作映画による宣伝効果も加わって、「12/8=真珠湾攻撃」だけという、偏狭ともいえる先入観が生まれているとしたら、再度、関係書籍を読んで欲しいと思います。

 物事が悪化する場合、とりわけ国際関係になると、いきなり悪くなることは、まずありえません。
何らかの事由で、国際関係が悪化した場合、意図的に良い方向へと戻そうとしない場合、多くは、メディアなどを悪用することにより、責任を他国に転嫁するなどして、そうした風評を自国民に定着させることにより、最終的には武力衝突に至ることは、この間の歴史を見ても明らかです。

 実際、中国方面では、数年間の戦闘が継続されており、要は、「米・英を中心とした西側諸国に対しての宣戦布告が12/8」ということでしょうか。
その結果、核兵器の使用まで許す結末になったのは、仕掛けた側が悪いのか、止めを刺した側が悪いのか…という論争になるのかも知れませんが、この間、何度も述べているように、戦争は人災の最たるものであり、誰もが、それを認識して行動したならば、そう簡単に戦争は起こらないだろうと考えています。
 
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No.940 何処かで見たような… [歴史]

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 拙文No.938でご紹介した「矢掛」ですが、町の西寄りの高通川に、古ぼけた橋が架かっています。
「新栄橋」と呼ぶそうですが、その昔、この場所は、「徒渡し」が行われていたとか。
つまり、川に橋が架かっておらず、川を渡るには、専門の人に背負ってもらうか、台に乗せてもらっていたようです。

 橋が出来たのは、明治になってからだと思いますが、昭和に入って架けられたであろう現存する橋も、画像の左側に見えるバイパス橋に役目を譲り、自転車・歩行者専用となっていました。
この橋、最近の道路橋では見かけなくなったトラス構造で、鉄材もリベットで留められています。

 この橋、何故か、初めてみた気がしませんでした。
というのも、毎年訪問している南薩鉄道が健在の頃、加世田市内(現在は南さつま市)にある万之瀬川に架かっていた鉄道橋に似ているからです。
部材の太さや、構造が若干異なるものの、二連であることや、シルエットは良く似ており、仮に、万之瀬川橋梁が現存していたら、このような自転車・歩行者専用として余生を送っていたと思います。

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