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No.1171 間もなく32年 [鉄道]

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 過去、拙文で何度かご紹介した鹿児島の南薩線ですが、来月で廃止から32年を迎えます。
当時、地元記者が取材などで得た感想が記事になっていましたので引かせて貰いました。


 『南薩線の廃止が決まった。70年の風雪を走った鉄路の歴史は、栄光と挫折の連続だった。だが、その末路はあまりにも哀れだ。弓折れ矢尽きての安楽死…あきらめの情より、なぜここまで放置したのか、と怒りすら覚える。

 南薩線の終末を人間の体に例えてみた。同線は20年前ほどから乗客減=赤字増大というガン細胞に侵されていた。だが、投薬や切開手術(集客努力や施設の近代化)など、これといった対症療法は施されず、ただ食事制限(会社のいう「日本一安い経費」)の延命策に終始した。家族(沿線住民)との対話も少なかった。その間、病状は悪化するばかりだ。そんな矢先、主治医(会社)は突然「もう寿命は尽きた」とサジを投げた。家族はろうばいするばかり…。

 悪いことは重なるもの。昨年の6.21水害で加世田・枕崎間の下半身が機能停止、頭部(大田隧道)の機能までやられた。起死回生にかける資金もなく、家族会議も泣く泣く安楽死に同意…。
 
 伊集院・加世田間開通は大正3年。鹿児島本線は鹿児島・串木野間、日豊本線も都城までしか開通していない時代だ。南薩の近代化を願い、自力で鉄路を敷いた先人の進取の気概が伝わってくる。加世田・万世間などは、住民が進んで用地を無償提供、建設費4万円余をかき集めて会社に貸し付けている。鉄道にかけた住民の熱意と期待を物語るエピソードだ。

 廃止も時の流れ、といってしまえばそれまでだ。しかし、先人の鉄道にかける情熱に比べ、あまりに も安易で、策のない廃止劇ではなかったか。廃止後の用地は会社が確保するという。一度死んだ鉄道が再生することはあるまい。せめてその一部でも地域開発に役立て、先人の遺志を継ぎたい。』
※1984年2月8日 南日本新聞朝刊より


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No.1170 バックアップは必要不可欠 [パソコン]

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 何時の間にか、暦の上では春が来ています。
久々のPCネタですが、この文章を保存しているシステムが不調となっていました。

 HDDの不良が原因で、結局は取り替えたのですが、問題はデータを引き継げるかということです。
今回は幸いなことに、正常なシステムにHDDだけ繋いでデータを移動できました。

 HDDが大容量化している現在、全てをバックアップするには相当の時間を要します。
最低限のデータならUSBメモリー等にも保存が可能なので、日頃からそうした配慮をしておく必要性を痛感した次第です。


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